酒田まつり本祭りは晴天に恵まれ、幕を開けた。
1902年(明治35年)、加藤雪窓が酒田山王祭行列図に描いたそのまんまの獅子舞の姿。とても迫力があった(それを見つめる吉村知事)。
松山藩萩野流砲術隊による祝砲。江戸時代後期には松山藩が庄内藩に砲術を伝えたそうで、こんなところにも宮城と庄内のつながりが。
そして、山車巡行がスタート。酒田名物の獅子頭も練り歩く。8頭いる獅子頭のうち、この子は「桜」。大きな顎を鳴らしながら、東北公益文科大学の学生たちに引かれていく。
獅の会と八波会による神輿。市民のまつりへと変化しつつある酒田まつりの象徴的存在。
夜の部には旧酒田市の枠組みを超え、各地の伝承文化が集まった。こちらは余目の飛龍伝説に基づいて2003年から活動を始めた飛龍保存会の皆さん。龍の目はビカビカと光り、炭酸ガスを吐きながら暴れ回る姿は迫力があった。
最後はメインイベント。1906年(明治39年)以来となる立て山鉾の巡行。高さ20mの山鉾は鮮やかな光を放ち、フィナーレを迎えた。
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